山荘 無量塔

懐かしい里山に出逢える宿~山荘無量塔~

★コンセプトは“リ・クリエイト”
 ~由布院に魅せられたカリスマの館~

■たくさんの緑に囲まれた宿の入口

由布院の街並みから少し外れた山の上に、静かな佇まいの旅館がある。「山荘 無量塔(さんそう むらた)」。無量とは、数字として現せないほど多いという様のことを指し、塔は建物を意味する。お客さまのたくさんの感動や喜びに満たされた館にしたいと、この旅館をつくった初代当主の藤林 晃司(ふじばやし こうじ)氏によって名づけられたという。

「山荘 無量塔」のコンセプトは「リ・クリエイト(再生)」。娯楽を指す「レクリエーション」に通ずる言葉だが、「どこかへ行って遊んだりして憂さを晴らすというのもレクリエーションだが、本当の深い感動から明日の生きる活力を得るような、本当の意味での魂の再生が真のレクリエーションである」という言葉を藤林氏がある人に聞いたことに由来するという。
その頃氏が考えていた「古民家を再生して新しいものをつくる」ということにもリンクしたことから、再生した古民家でお客さまにいい時間を過ごしていただき、それがその人の明日からの日常の糧になることを目指し、「山荘 無量塔」は1992年に由布院の地に誕生した。
時代はバブルの終盤、由布院のまちに外からの資本がどんどん入ってきている、そんな頃だった。

宿の創始者、藤林晃司氏 ■宿の創始者、藤林晃司氏

藤林氏は、20代の頃から出身地の日田で喫茶店を営んでいたが、その頃から「玉の湯」で食事をしたり、「亀の井別荘」の喫茶室「天井桟敷(てんじょうさじき)」でお茶を飲んだりする時間が好きで、よく由布院に通っていたという。そして30歳のときにこの地に移り、金鱗湖の近くに「茶寮 無量塔」という小さな食事処を構えた。
「田舎でもなく、かといって都会でもない、和でもなく洋でもないそんな風土が気に入ったんじゃないでしょうか」と語るのは現支配人の木部 賢一(きべ けんいち)さん。由布院に魅せられて由布院にやってきた藤林氏は、自身が愛した由布院の風景を、昔ながらの里山の風景を少しでも遺したいと、外資本のお土産屋などが増えてきた街中から離れ、理想の風景を宿として具現化した。

宿泊客が思い思いの時間を過ごす“Tan’s bar”は、昼間はカフェとしても営業する。藤林氏は緑の近くの席がお気に入りだったという。 宿泊客が思い思いの時間を過ごす“Tan’s bar”は、昼間はカフェとしても営業する。藤林氏は緑の近くの席がお気に入りだったという。 ■宿泊客が思い思いの時間を過ごす“Tan’s bar”は、昼間はカフェとしても営業する。藤林氏は緑の近くの席がお気に入りだったという。

★目指したのは長く愛されるおやつ
~日本初のロールケーキ専門店の誕生~

ロールケーキ専門店について、少し紹介したい。
今でこそご当地ロールケーキの店は日本全国にあるが、日本初のロールケーキ専門店は無量塔が手がけた「B-speak」であろう。オープン以来、現在も店の前にはたくさんの人たちがPロールという名のロールケーキを求めて列をつくる。午前中で売り切れることもしばしばであることからもその人気を計ることができよう。
きっかけは、由布院の子どもたちが生まれ育って大きくなったときに由布院を懐かしむおやつをつくりたい、という想いであった。長く愛されてずっと続いていく「由布院のおやつ」を目指した当初、スタッフは素人同然。パティシエではないのでいろいろなお菓子ができるわけではないが、ロールケーキというシンプルなものだけに想いを込めて丁寧につくればいいものがつくれるのでは、ということから始まったのだという。

B-speak店長の河津直之さん ■B-speak店長の河津直之さん

「由布院の子どもだけでなく、観光のお客さまが子どもを連れて来て、その子が大きくなったときにまた自分の子どもを連れて来て『あ、これこれ』という。いつまでたっても由布院はこの味だよね、と語り継いで行ってもらえるお菓子づくりをしたい」と、店長の河津 直之(かわづ なおゆき)さんは語る。

現在はロールケーキのほかにチーズケーキも作っているが、これも由布院らしさ、日本らしさにこだわっている。日本人の手仕事が伝わる桐箱に入った、羊羹をイメージした長方形のチーズケーキは、日本人のつくるお菓子だということを世界の人に知ってもらいたいと、英語表記も敢えて多めに入れているという。旅館をはじめた当時の「今の日本人でないとつくれないものを」という想いは、お菓子にも生きているのだ。

★感動を通して社会に貢献するとは~受け継がれる想い~

無量塔が宿に留まらずこういった店を展開していったのは、いい店をつくることで周りの店やまちが変わっていくのでは、という藤林氏の想いがあったからだという。ひとついい店ができると周囲の建物も佇まいを正したくなる。それがまち並みをつくっていくことになるという考えからであろう、氏は宿、洋菓子店のほか美術館をつくり、大分や別府にも店をつくった。
カリスマと呼ばれた藤林晃司氏は時代の先頭を走り、地域のブランド構築に多大なる影響を与え、2010年逝去した。


カリスマのつくったもの、そしてその哲学を継いでいくとはどれほど大変なことであろう。
無量塔の経営理念は「感動を通して社会に貢献する」という言葉に集約されている。そして「感動は気づくことから始まる」、「感動は謙虚な姿勢を必要とする」、「感動は凡事徹底を必要とする」と続く。
「先代に直接聞いたわけではなく、なんとなく聞こう聞こうと思っているうちにいなくなってしまったんだけれど・・・」と木部支配人が語ってくれた。

支配人の木部賢一さん ■支配人の木部賢一さん

「先代がいなくなってあらためて思うのが『感動を通して社会に貢献する』とはどういうことだろうと。先代が生前よく言っていたのが『お客さまから言われて一番嬉しい言葉は、料理を褒められたり建物を褒められたりすることではなく”いい時間を過ごせました”と言われることだ』ということ。それが自分にとって一番の褒め言葉だと。
私なりの解釈ですが、感動を通して社会に貢献するとは、私たちが直接社会に貢献するわけではなく、うちにお泊りになる職業も国も様々ないろんな方に先代の言う『いい時間』を提供して、また明日からがんばりたいとお客さまに感じていただけることで、そのお客さまがそれぞれの社会へ戻って行って活躍されるということなのではないかと。直接的ではなく間接的に、お客さまに深い感動で魂のリ・クリエイト(再生)をしてもらって、その方々が日本中、世界中で活躍されるお手伝いをするのが私たちの仕事ではないかと思うのです」
計り知れないほどの深い感動と喜びを提供する館は、2016年4月に起こった震災によって被災したが、1週間後には営業を再開し、訪れる人々の魂の再生の手伝いを続けている。

海外のお客さまは無量塔の目指した、“日本の遺したい風景”に接し、”Amazing”と言う。
日本人が懐かしくて落ち着く風景だけでなく世界中の人にとって心地よい空間なのだと実感したという木部支配人はこの風景を整備して、手入れして先代の遺した佇まいを守り、日本のいい風景を広げていくのが無量塔の未来だと語る。
「いいものをつくると想いはそこに息づきます。先代がいい建物をつくってくれた。B-speakが名前の通りよいものをつくり続けることでお菓子が自分から語り始めたように、いい建物は自分から語りかけてきます。建物が残ったから想いが続いていく。大切なのはそれをきちんときれいに保って守っていくことなのです」
日本の風景と心にリ・クリエイト(再生)を施す宿は、その創始者が愛した由布院の景色とともに次の世代へ引き継がれていく。
懐かしい風景の中に息づく、深く、強い想いを感じた。