由布院 玉の湯

まちとともに生きる宿~由布院 玉の湯~

★静けさ・緑・空間~小径が誘う由布院時間~

由布院を代表する名宿「由布院 玉の湯」は、禅寺の保養所として1953年にその歴史をスタートさせた。

現会長の溝口 薫平(みぞぐち くんぺい)さんは由布院の礎をつくったひとりとしてあまりに有名だが、若き日の溝口さんが亀の井別荘の中谷 健太郎(なかや けんたろう)さんらとともにまちづくりのヒントを求めて赴いたドイツのバーデンバイラーで出逢ったことばが今の由布院のあり方を決定したという話がある。

曰く「まちにとって大切なのは『静けさ』『緑』『空間』である」。

由布院はその日から、「静けさ」「緑」「空間」をコンセプトにまちづくりを続け、滞在型温泉保養地として日本屈指の観光地となった。


訪れる人を出迎える緑の小径。玉の湯の由布院時間への入口だ。 ■訪れる人を出迎える緑の小径。玉の湯の由布院時間への入口だ。

「静けさ」「緑」「空間」はまた、玉の湯のコンセプトにもなっている。そして実際に、この宿に一歩足を踏み入れると、そこには静けさがあり、緑のなかに身を置いて、人と出逢える、由布院と出逢える空間があるのだ。まちが大切にしていることを玉の湯も大切にしたいという想いは、宿の入口にあたる美しく細い緑の小径(こみち)を通るだけでも伝わってくる。



小径の先に訪れる人々を出迎えてくれるのは、優しく微笑む宿の皆さんだけではない。やわらかい光が降り注ぐ緑の小庭、石畳の打ち水、素朴な野の花がさりげなく飾られたテーブル、浴場に完璧な美しさで整えられている脱衣かごや風呂桶・・・。その全てが心地よい“気”を感じさせる。

由布院温泉観光協会の会長という顔も持つ桑野さんは、由布院を「人が歩けるヒューマンスケールのまち」と表現する。宿もヒューマンスケールで距離感が近いのが由布院流。どの宿も自分たちの思う由布院らしさを表現しており、どの宿の時間も「由布院時間」なのだという。
ここにおける玉の湯は、「こういう宿があってもいいじゃないか、多様なものがあっていいじゃないか」という多様性の中にありたいのだとも。
たしかに由布院にはさまざまな宿があり、さまざまな由布院時間を演出してくれる。
その中で玉の湯に「帰ってきたい」と何度も訪れる多くの人は、多様性を認め、多様性の中にありたいというこの宿の、おおらかでやわらかい由布院時間に惹かれているのかもしれない。

★成熟した賑わい・・・そして新しいステージへ

昨今、由布院に外からの資本が大量に入ることで、「由布院らしい」静かな空間が失われて、良さが薄れていっているのではないかと言われるが、桑野さんは静けさと賑やかさの両方が今の由布院にあるということを認めている。
いろいろな通りが生まれ、自分たちと違う考えの人が入って来ているとしても、その中で良質なもの、由布院らしいものが生まれていけば10年、20年の中で決して悪いことだけではないと。実際に、一時的なニーズにおもねったものではなく、このまちらしいいいもの、いい仕事をし、地域と共生するというスタンスをもっているところが10年、20年続いてきて、今の由布院がある。
「静けさ」「緑」「空間」という精神が賑わいの中にもあるというのが、成熟したあり方であり、日本の温泉地や地方都市の中で良質な、成熟した賑わいというものがやっと見られる時期になった。まちのあり方が次のステージに向かうというのはそういうことではないかと桑野さんは言う。
そして新しいステージに向かう由布院は、2016年4月に起きた震災で、さらに本格的な転換期を迎えることになった。


「震災が起きて一夜で全てが変わることを実感しました。地域として持続していくためには、ということを、この地震が今一人ひとりに問いかけている。このまちでどういう生業をして、どうしていきたいのかを皆が考えられたということ、自分ひとりでは生きていけないということ、皆で一緒に、ほかのエリアとも動いていこうというようなことまで本質的なことを考える、恵まれた時間をいただいていると思います」と桑野さん。
震災後、昔なじみの人たちが由布院を心配し、励ましに訪れてくる。その中でよく、「昔の由布院みたい」と言われるが、それは迎える側もたくさんの時間の中で、ゆったりと出迎えることができるようになっているからではないだろうか。迎える側も震災で変わり、お客さまも、由布院に強い想いをもって訪れてくる。いい意味で、時間の流れが濃密になっているのが震災後の今の由布院なのだ。その時間の中で、由布院の人々はそれぞれ自分の立ち位置で一度立ち止まり、どうしたらいいかを考えている。

震災後、由布院のまちは、新たな転換期を迎えている。これからの由布院を見守るかのような由布岳。 ■震災後、由布院のまちは、新たな転換期を迎えている。これからの由布院を見守るかのような由布岳。

由布院は過去にも地震による大きな変換期を経験している。41年前の大分中部地震によって甚大な風評被害に直面したときである。このときは父親の溝口さんたちが考え、行動し、まちに辻馬車を走らせ、新しい祭をつくりだし、見事に復興を果たした。今回はその子どもたちの世代が考え、動きだしている。
玉の湯は震災後、訪れる人々のために、休止していたランチ営業を再開した。SPレコードの音楽会をやろうという企画も持ち上がり、まちの中では新しい音楽祭をしたいという話も出ているという。由布院の音楽祭は7年前に一度終わったが、もともとのクラシックの音楽祭の再開と共に新しいテーマのある音楽祭も始まろうとしている。多様な人たちが、多様な時間をつくっていきたいと動き始めていることは意義深い。訪れる人々に本来の由布院を知っていただくおもてなしをしたいと、まちあるきのガイドの取り組みも始まった。震災で倒壊した宿の若い経営者は、世界へ誇れるような宿をつくりたい、と宿の再建に意欲を燃やしているという。

★“中継ぎ世代”の挑戦~宿だからできること~

これらの動きは桑野さんの考え方も変えた。
自らを「中継ぎの世代」と言う桑野さんは、これまでは前の世代がつくったものを維持して次の世代にバトンタッチするのが自分の役割だと考えていたという。そのために、宿においては部屋をひとつ壊して緑をつくり、まちの景観を落ち着かせたければ色を減らし、緑を引き立たせるために看板をなくすというように何かを削ることで「静けさ」「緑」「空間」を守ろうとしてきた。それが、新しいものをプラスした「静けさ」「緑」「空間」に挑戦するのがこれからの自分の役割だと、震災を機に考えるようになったという。30代、40代がこのまちの中で震災後、多様な経営に挑もうとしているときに立ち止まっているのではなく、自分も進化していくことが今の中継ぎに与えられた役割なのだと。
まちの中にある宿は、皆がそれを見て育つという意味で温泉地の美しさを表現していく役割を担う。いわばまちの宿は、それぞれがまちのショーケース的な役割をもっているのだ。だからこそ宿は、まちが、人が必要だと思える空間をつくらないといけない。そのためにこういうものがあればいいなというものを実験的につくったり、いろいろな挑戦をすることができると桑野さんは言う。そして、小さな宿だからこそできること、「あ、これもあるのか」とまちに刺激を与えられるようなことにこれから挑戦したい、と。
桑野さんの挑む新しい「静けさ」「緑」「空間」に会いにまた、このまちへ訪れたいと思った。

★そして・・・変わらないもの

桑野さんのお気に入りのひとつが、玄関前の小さな水路で鳥が水浴びをする光景だと言う。それを訪れた人たちが笑いながら見ている時間が好きなのだそうだ。
実は桑野さんにお会いする前に出迎えてくださったお父上の溝口さんも、「ああ、今日も鳥が来ているよ。暑いから鳥も水を浴びに来るんですよ」とその光景を見て微笑まれていた。
そこに集う人々が微笑みながら鳥の水浴びを一緒に見ているという非日常の空間が心地よい。その非日常は記憶のどこかにある、いつかはあったはずの彼方の日常なのだ。日常が忙しいあまり、非日常になってしまっている、そんな中でふと記憶が呼び戻される懐かしい瞬間がこの宿にはある。
そして、同じ光景を愛しむ父娘のおふたりに、変わることのない「玉の湯の由布院時間」の流れを感じた。
その変わらぬ時間に会いたいがゆえに、私たちはまたあの小径を通って「帰り」たくなる。