壽官陶苑

革新が堆積した景色
~沈家が歩んだ400有余年~

十五代 沈 壽官 氏(本名:大迫 一輝 氏 十四代 沈壽官氏の長男として鹿児島県に生まれ、日本やイタリア、韓国で陶芸を学び、「薩摩焼400年祭」の翌年、1999年に39歳の若さで十五代を襲名。沈家に代々伝わる「浮彫(うきぼり)」や「透彫(すかしぼり)」の技法を駆使し、華麗な絵付けを施した芸術性の高い当主の作品の背景には、「薩摩焼ならではの素地の美しさを表現したい」という想いが込められている。
十五代 ちん 壽官じゅかん
(本名:大迫おおさこ 一輝かずてる 氏)

1959年誕生
1983年早稲田大学卒業
1984年京都市立工業試験場修了
1985年京都府立陶工高等技術専門校修了
1986年イタリア国立美術陶芸学校
GAETANO BALLARDINIファエンツァ校専攻科入学
1988年イタリア国立美術陶芸学校 卒業
1990年大韓民国京幾道 金一萬土器工場にてキムチ壷制作修業
1999年1月15日、十五代 沈壽官を襲名
2010年パリ・エトワールにて「歴代沈壽官展」開催
2012年麗水万博日本館サポーター 任命

☆朝鮮の心と薩摩の技 ~日本の南端に咲いた薩摩焼~

鹿児島県の北西部に佇む小さな村、美山(みやま)――旧称・苗代川(なえしろがわ)と呼ばれるこの丘陵地帯には、李氏朝鮮の人々の心と、薩摩人の秀逸した技が地層のように堆積した“伝統”となって、今も息づいている。遡ること400年有余年、この地で焚かれた窯の火は、血脈とともに絶えることなく、現在も白煙を上げている。

「薩摩焼」の起源は、豊臣秀吉とそれに従った大名たちが二度にわたって朝鮮半島へ出兵した文禄・慶長の役にさかのぼる。戦いが終焉をむかえた1598年、薩摩から出陣した島津 義弘(しまづ よしひろ)が帰国する際に伴ってきた約80名の朝鮮陶工たちが薩摩の地に根づき、薩摩焼が誕生した。最も多くの陶工たちが集住した苗代川では、薩摩藩の保護のもと、彼らは朝鮮名を名乗り、朝鮮語を話し、朝鮮の生活様式を維持し、あたかも朝鮮集落といった環境下で、藩の命に従事した。それは、陶工としての仕事以外に、朝鮮通事(通訳)としての役割を担わせるための、薩摩藩のしたたかな計略だった。

朝鮮陶工が守り神として携行したといわれる面 ■朝鮮陶工が守り神として携行したといわれる面
美山にある玉山神社には、檀君(だんくん)(古朝鮮の祖神といわれる)が祀られ、陶工たちにより朝鮮式の神事が行われていた。 ■美山にある玉山神社には、檀君(だんくん)(古朝鮮の祖神といわれる)が祀られ、陶工たちにより朝鮮式の神事が行われていた。

沈 当吉の作品と伝えられる『白薩摩茶碗(しろさつまちゃわん) 伝火計手(でんひばかりて)』 ■沈 当吉の作品と伝えられる『白薩摩茶碗(しろさつまちゃわん) 伝火計手(でんひばかりて)』

その中に、故郷に思いを馳せ、朝鮮式の茶碗をつくる男がいた。全羅北道南原城(ぜんらほくどうなもんじょう)で捕らえられた陶工の一人、沈 当吉(ちん とうきち)だ。彼は、飾り気のない白一色の素朴で力強い朝鮮式の焼物を異国の地で完成してみせた。原料も道具も作り手も全て朝鮮のもので、焼き上げる火ばかりが薩摩のものを使った、特別な想いの込もった「火ばかり茶碗」だ。これを見た薩摩の人々は驚嘆し、自国に芽吹く新たな文化の誕生に胸を膨らませたことだろう。

華やかな絵付けや精巧な彫刻技法が芸術性を放つ白薩摩 ■華やかな絵付けや精巧な彫刻技法が芸術性を放つ白薩摩

当時の日本は、武将や富商の間で「茶の湯」が隆盛し、中国や朝鮮の高級な茶器を模倣した国産の焼物が高値で取引される時代にあった。薩摩藩主は朝鮮白磁を薩摩の地で再現するよう、当吉らに命じた。しかし、20数年にわたる壮絶な努力も甲斐なく、磁器をつくるための陶石を藩領で見つけることはできなかった。そこで彼らがあみ出したのが、「白い土に透明の釉薬をかける」という新しい姿の陶器だった。この革新的な発想により誕生した「白薩摩」は、雅な調度品として藩主の手にのみ納められるようになり、その評判はすぐに日本各地の大名に知れ渡った。その一方で、民衆の生活の中で幅広く使われるようになった「黒薩摩」もこの頃から焼成されるようになった。

自然な様相で力強さや健やかな美を感じさせる黒薩摩 ■自然な様相で力強さや健やかな美を感じさせる黒薩摩
薩摩焼の原料となる土。左側が白薩摩、右側が黒薩摩のもの ■薩摩焼の原料となる土。左側が白薩摩、右側が黒薩摩のもの

☆~薩摩の地から世界に飛翔する至宝~

今も歴史の残り香が漂う美山の中心地に、ひときわ目を引く武家屋敷が佇んでいる。1598年に朝鮮国から渡来して以来、幾多の危難を乗り越え、沈当吉の血脈を一子相伝で守り続けてきた名窯「沈壽官窯(ちんじゅかんがま)」だ。薩摩藩の藩窯として作陶に勤しんだ沈家の歴史をたたえる立派な門を抜けると、そこには先人たちの想いと技が息づいていた。

朝鮮陶工たちの涙ぐましい努力により、革新的に生まれた「薩摩焼」は、国焼としての時代を終え、近代化に伴う技術革新の時代を歩み、時代の要請とともに少しずつ姿を変えていった。そのひとつのターニングポイントは、1867年の「パリ万博」だった。江戸幕府の統治にあった当時、ヨーロッパにおける幕府の権威を失墜させることを目的に、薩摩藩は独立国家「薩摩琉球国」という国名を装い、万博へ参加した。そこでヨーロッパ人を魅了したのは、美しい素地に華やかな絵付けを施した薩摩焼の大花瓶だった。すぐにその名はヨーロッパ中に知れ渡り、6年後のウィーン万博では、十二代 沈壽官氏(以下、「十二代」)の作品が賞賛を浴び、薩摩焼は豪華絢爛なジャポニズムの代名詞として確立した。


十二代 沈壽官作『錦手松竹鶴図花瓶(にしきでしょうちくつるずかびん)』 ■十二代 沈壽官作『錦手松竹鶴図花瓶(にしきでしょうちくつるずかびん)』
細かな貫入の入った白薩摩の素地と調和する、純金と色絵をつかった控えめな絵付けが、十二代が目指した薩摩焼固有の美だった。 ■細かな貫入の入った白薩摩の素地と調和する、純金と色絵をつかった控えめな絵付けが、十二代が目指した薩摩焼固有の美だった。
メルボルンで落札された十二代の作品『猿使置物(さるつかいおきもの)』 ■メルボルンで落札された十二代の作品『猿使置物(さるつかいおきもの)』

ウィーン万博を機に、十二代の作品の多くは海を渡り、世界各国の美術館などで展示・貯蔵されることになった。そして、骨董に関する研究が進む昨今、ロシアのニコライ皇太子に寄贈された作品の所在が確認されるなど、彼の功績は時空を超えて評価され続けている。また、1893年のシカゴ万博に出品した猿使(さるつかい)をモチーフにした“捻り物(フィギュア)”が2014年にオーストラリア(メルボルン)のオークションで落札され、沈壽官窯に出戻るという感慨深い出来事もあった。今後も、世界各地で沈壽官窯の偉勲が発見されるであろうことを想像すると、浪漫を感じずにはいられない。

15代 沈壽官氏が語る歴史と伝統

言葉の端々に先人たちへの想いが溢れる、十五代 ■言葉の端々に先人たちへの想いが溢れる、十五代

異国の地で歴史の1ページ目を記した初代 沈当吉は、400年先の未来をどう描いたのだろうか。その答えは、沈壽官窯にあった。

「伝統とは革新が堆積した景色」
400有余年にわたる沈家の歩みをそう表現したのは、現当主の十五代 沈壽官氏(以下、「十五代」)だ。


十二代作『錦手ネズミを見つめる母娘像』母娘が見つめる大根の上のネズミと、今まさに飛びかかろうと身構える三毛猫。見事に装飾された水甕等に目を奪われがちだが、女の子はこみ上げる興奮を抑えきれないのか満面の笑みを浮かべ、よく見ると音を立てないように左足を宙に浮かしている。 ■十二代作『錦手ネズミを見つめる母娘像』
母娘が見つめる大根の上のネズミと、今まさに飛びかかろうと身構える三毛猫。見事に装飾された水甕等に目を奪われがちだが、女の子はこみ上げる興奮を抑えきれないのか満面の笑みを浮かべ、よく見ると音を立てないように左足を宙に浮かしている。

「時代を映す鏡」と称される焼物を読み解くことで、沈家に脈々と継承される魂に触れてみたく、先人たちの作品を十五代に解説していただいた。

「感情を伝える焼物は、日本中どこを探しても十二代の作品にしかないと思います。“表現”という私の作陶スタイルのヒントになったのも彼の作品です。」天才と称された曽祖父の作品を手放しで賞賛した。また、彼の功績を称え、十二代以降の当主は、「壽官」の名を名乗るようになったことを補足しておく。

「17歳の若さで伝統のバトンを受け継ぎ、その4年後に日韓併合。沈という姓を背負って生きていくことは本当に過酷だっただろう。」とは、祖父にあたる十三代のこと。作品を前に、歴史の重みを噛み締めるように、その苦労をおもんぱかった。続けて語ったのは、司馬遼太郎氏の小説『故郷忘じがたく候』の主人公としても知られる実父、十四代のことだ。「ものすごく優秀で、ゼロからイチをつくれる人物です。彼の作品集を見ると、真似したくなるものがたくさんあります。」現当主の言葉の端々には、先祖に対する畏敬の念がにじみ出ていた。

十三代作『錦手亀甲総透彫伏香炉(にしきできっこうそうすかしぼりふせこうろ)』丹念に透彫された亀甲文様の被せ蓋に宿る1匹の蝶からは、戦争の時代に沈家を守り抜いた十三代の逞しさを感じ取ることができる。 ■十三代作『錦手亀甲総透彫伏香炉(にしきできっこうそうすかしぼりふせこうろ)』
丹念に透彫された亀甲文様の被せ蓋に宿る1匹の蝶からは、戦争の時代に沈家を守り抜いた十三代の逞しさを感じ取ることができる。

十四代作『薩摩盛金七宝繁地雪輪文大花瓶(さつまもりきんしっぽうつなぎじゆきわもんだいかびん)』 ■十四代作『薩摩盛金七宝繁地雪輪文大花瓶(さつまもりきんしっぽうつなぎじゆきわもんだいかびん)』
盛金とよばれる、純金を盛り上げて立体感を出す技法で全体が飾られた花瓶は、韓国大田で開かれた万博にも出品された。

沈壽官窯の挑戦

山容は異なれども、革新が山脈のように連なった沈家の伝統。十五代が描くこれからの沈壽官窯とは・・・。

「私が大切にしていることは、意思をもつこと。意思のない仕事は、暗いし、つまらないし、空虚ですよね。自分の意思を育み、養い、研ぎ澄まし、それを“表現”していくことです。」当窯で働く20数名の職人にも、当主の想いは浸透しているようだった。

十五代作『七宝透伏香炉(しっぽうすかしふせこうろ)』 ■十五代作『七宝透伏香炉(しっぽうすかしふせこうろ)』

最後に、自身の夢と薩摩焼の未来について、語っていただいた。「先人が革新的に生み出した、白い土に透明の釉薬をかけるという焼物を突き詰めると、薩摩焼とは絵付けや彫刻技法を見せるものではなく、素地を見せる焼物なんです。私の夢は、無数にある白と、無数にある透明のベストミックスを探しだすことに尽きます。」十五代の言葉に迷いはなかった。今の時代を精一杯生きる当主の熱い想いと、彼を支える職人たちの秀逸した技が、革新を紡ぎ、それらが新たな伝統となって後世に受け継がれていくことだろう。

当主が信頼を寄せる職人たちの技